ヴァン・モリソンの知られざる一面

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テレビ嫌い

アイルランドの吟遊詩人ヴァン・モリソンはテレビに出演し歌うことが、とにかく嫌でした。
『なんか変なことさせられたよ。嘘っぽい口バクをテレビでさせられたりね。出来ないよ。毎回、曲は変えるんだから。同じようには歌えない。でも彼等は、そういう事が出来る人を好むみたいだね、僕じゃないよ。』と言っていたそうです。
こちら(YouTube)は1962年から89年まで放映された音楽番組”American Bandstand”に1967年、ヴァン・モリソンが出演した際のビデオです。
ここでも、ちょっとそういう性格が伺えます。

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ヴァン・モリスンのMoondanceというアルバムの中の曲”And It Stoned Me(YouTube)”、Moondance“とCrazy Loveは有名で海外で好きな人が多いので覚えておくと会話の話題の一つになりますよ

仰天!一日に30曲作曲

ヴァン・モリソンがゼムを脱退し、作曲に専念していた頃、ゼム時代のヒット曲”Baby Please Don’t Go”、”Here Come the Night”のプロヂューサーBert Berns(バート・バーンズ)は立ち上げたレーベル会社でにソロ・アルバムを出さないかと誘いました。
契約内容を良く分からないままヴァンはサインをし、1967年3月に2日間で8曲を録音しました。
録音した8曲はアルバム”Blowin’ Your Mind!”として発売されたのですがヴァンは、それらの曲をシングルとして出すつもりで録音したためアルバムとして発売されたことを友人からの電話で知ったそうです。
ヴァン本人が言うには
『著作権については契約を交わさなかったため、有名な”Brown Eyed Girl“からもヴァン・モリソンは、今まで一度も曲の使用料を得ていない』そうです!
そして1年に36曲という契約を履行するため31曲を1日で録音しました。
それらの曲は契約への怒りを表した曲なのか分からないようなものでリベンジ・ソング(Revenge Songs)と名付けられたそうです(-_-;)

ステージ恐怖

10年以上の輝かしいキャリアの後の1970年代、ヴァン・モリソンはステージ恐怖に悩まされステージに上る事を避けるようになりました。
しかし1976年、ザ・バンドの最終公演ラスト・ワルツに出演するため恐怖に打ち勝たなくてはなりませんでした。
11月25日、ラスト・ワルツ当日のことをマネージャーのハーヴィーはこう語りました。
『その日の夜、みんな集まってリラックスしていました。けどヴァンが出演時間の20分前に急にいなくなったんです。服が格好悪いからとホテルに着替えに行ったんです。そして出演はしないと言い出しました。
なので私は文字通りステージに”押し上げ”ました。ステージに上がると衝撃でした!会場が大歓声に包まれ今までの公演の中でも最高のパフォーマンスをしていたんです!』

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