プリンスの『実は』

prince

Princeはプリンスのお父さんが「自分のしたかったこと全てをしてもらいたかったため」に名付けた本名です。
参照:Wikipedia(英語)

・14才の時、家の地下室で一緒にジャム演奏をしていた友達アンドレ・アンダーソン(後のアンドレ・シモーネ)と共に、プリンスのいとこのバンドGrand Central(グランド・セントラル)に参加しました。
バンドは後にグラハム・セントラル・ステーション(Graham Central Station)と勘違いされないように、バンド名をChampagne(シャンパン)に変えたそうです。
その頃からジェームス・ブラウンやスライ・ファミリー・ストーン、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、マイルス・デイヴィス、パーラメント等に影響を受けたオリジナルの曲を演奏し始めたそうです。
参照:Wikipedia

・ジョン・レノンが殺害された時、発砲現場から数ブロック(2、300メートル)離れた所にいたそうです。

・7歳の時、最初の曲Funk Machine(ファンク・マシーン)を書きました。

・子供の時のあだ名は「スキッパー」でした。
(Skipperは”船長”や”スキップする人”の意味ですが、プリンスがそう呼ばれた理由は分かりません…)

・最初のアルバム3枚をレコード会社のワーナー・ブラザースはアース・ウィンド・アンド・ファイアーのモーリス・ホワイトにプロデュースさせようとしましたが、プリンスはディスコ・サウンドが直に廃れると感じており、自分のアルバムをモーリスさんにプロヂュースさせる事はそれを早める事になると思い、断ったそうです。
19歳の時でした。

・女性名はカミール(Camille)です。

・1985年27歳の時、白いフォードのサンダーバードを所有していました。
その頃、愛車を運転している姿がノース・ミネアポリスで見られたそうです。
同じ年、ローリング・ストーン誌で、ミュージシャンとしての始まりを「お金が一切なかったからマクドナルドの外に立って匂いだけ嗅いでいた」と言っていたそうです。

・2001年にエホバの証人になりました。
参照:27 Famous Jehovah’s Witnesses(27人のエホバの証人の有名人)

・ティム・バートンはバットマンの音楽をプリンスとマイケル・ジャクソンに別々に制作してほしかったそうですが、プリンスがヒロイン役のキム・ベイシンガーに一目惚れし、全てを一人で手掛ける事にしたそうです。
キム・ベイシンガーに良い曲を書き好かれようと、日本ツアーをキャンセルしてまで制作に取り掛かりました。
二人は付き合いましたが、翌年に別れました。
後にアルバム”A Hollywood Affair”にベイシンガーと作りますが、正式にリリースには至りませんでした。
(録音された音源はYouTubeで聴けます♪)

・スタジオの経営には多額の費用が必要で90年台中期、収入の低下にも関わらず個人で年間50万ドルを使い、運搬チーム、10台のトレーラー、ミュージシャン、撮影班などをフルタイムで雇い続けたために、プリンスは財産すべてを失いかけました。

・キャリアの最初の頃、ジミ・ヘンドリックスと比較される事についてローリング・ストーン誌で「ただ黒人だから」と答えました。

・2回目のテレビ出演は1980年「American Bandstand」でした。
演奏後、司会のディック・クラークは「ミネアポリスの音楽ではないね」と言ったそうです。

パープル・レイン(Purple Rain)

・脚本家の”ウィリアム・ブリン”は映画のタイトルをドリーム(Dreams)にしたかったそうですが、プリンスがパープル(Purple)で押し通しました。
20 Things You Didn’t Know About ‘Purple Rain’

・パープル・レインの意味について様々な説があるそうで、その1つには
「空に血があれば赤と青で、パープル。
パープル・レインは世界の終わり、愛する人と一緒にいること、神を信じパープルレインを乗り切ること」プリンスが言ったそうです。
20 Things You Didn’t Know About ‘Purple Rain’

・映画の中で、プリンスが乗っているバイクはホンダの”CB400A”を改造したものです。
参照:The Details On Prince’s “Purple Rain” Motorcycle
(日本で改造バイクは違法です)

・プリンスはパープル・レインの歌詞をフリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスに頼みました。
スティーヴィー・ニックスは曲を聞き、10分弱の曲に圧倒されてしまい電話をかけ直し「私には出来ない。出来るといいのだけど。私には荷が重い。」とプリンスに伝えました。
その後、プリンスが書いたそうです。

・1984年、それまでビートルズしか成し得なかった「シングル、アルバム、主演映画の全てで一位になる事」を成し遂げました。
(シングルは”When Doves Cry”、アルバムと主演映画は”Purple Rain”です)

・映画で描かれているようにプリンスのお父さんは銃を持たず、プリンスはお父さんについて一度も悪態をつかず、お酒も飲まず、常にクールな父親だったと語っています。
参照:53 THINGS YOU MIGHT NOT KNOW ABOUT PRINCE

・当初、パープルレインは11分の長さでした。
歌詞が不適切と見なされたようで、カットされました。
元の歌詞♪
Honey I don’t want your money, no, no.
君のお金はいらないよ
I don’t even think I want your love.
君の愛さえもいらない
If I wanted either one I would take your money and,
どっちか一つ欲しいとしたら、お金にする
I want the heavy stuff.”
= 何であれ大量に欲しいんだ。」

・曲がジャーニーの”Faithfully”に似すぎていないか心配で、プリンスはジャーニーのキーボディスト、ジョナサン・ケインに電話をしました。
ケインは「同じコードが何個か入っているだけだし大丈夫」と言ったそうです。

・映画は制作費の700万ドルに対し、6,800万ドルをもたらしました。