ビートルズ|メンバーの一面

beatles-members

ジョン・レノン

I Feel Fineはジョン・レノンがファンだったボビー・パーカーのWatch Your Stepから影響を受け、作ったそうです。
レッド・ツェッペリンもインスパイアされたそうで、Moby Dickでそれが聴けます!

Lucy In The Sky With Diamonds
“Lucy In The Sky With Diamonds”は、LSDを示唆した曲という説もありましたが実際はジョン・レノンの息子、ジュリアン・レノン(Julian Lennon”が4歳の時に、学校から持って帰ってきたクラスメートの”Lucy O’Donnell”がダイアモンドの目をしている絵を見て、ヒントを得たそうです。

エルトン・ジョンのカヴァーに参加
”Lucy In The Sky With Diamonds”のエルトン・ジョンのカヴァーに、ジョン・レノンがコーラスとギターで参加しています。

ビートルズで唯一
ジョンはビートルズで唯一、生涯のベジタリアンではありませんでした。
ジョージが1965年に、その数年後ポールがベジタリアンになり。リンゴは前の二人と違い健康上の理由でなり、ジョンも60年代に何度かなろうとしたそうですが、いつもまた元に戻ってしまったそうです。

自分の声が好きでなかった?
ファンからすると信じられないですしジョークかもしれませんが、ジョン・レノンは自分の声がそれほど好きでなかったためか多重録音を頻繁にしたのもそのためだそうです。
「Can’t you smother it with tomato ketchup or something?
=ケッチャプか何かで声を覆い隠してくれない?
って僕に聞くんだよ」とプロデューサーのジョージ・マーティンは言っていたそうです。

一番お気に入りの歌詞
ジョン・レノンが友人に書いた歌詞で、どの曲が一番好き?と聞かれ「簡単。”All You Need is Love”だよ。」と即答したそうです。

大事なジョン・レノン
マネージャーのブライアン・エプスタインは「ジョンは大丈夫です。唯一、大事な人ですから。」とジョンの叔母ミミに言ったそうです。

モンティ・パイソン
ジョン・レノンは頻繁に「ビートルズよりはモンティ・パイソンに入りたい」と言っていました。

ノーウェア・マンの歌詞
“Nowhere Man”の歌詞「He’s a real nowhere man, sitting in his nowhere land(彼は住所不定の場所に座っている、どこにも属さない男だ)」を、自宅アパート内、沢山の物に囲まれたキングサイズのベッドで寝転がっている時に思いつたそうです。

隣人がジョン・ケージ
ジョン・レノンがニューヨークのウェストヴィレッジのアパートに引っ越した時、隣に住んでいたのはジョン・ケージ(Wikipedia)でした。

日本語コース
1977年の夏、ジョン・レノンは日本に来る前マンハッタンにあるベルリッツ・ランゲージセンターで、日本語の6週間コースに参加しました。

画家のマティス
が好きでした。

日本で乗車拒否
日本でジョンとタクシーに乗ろうとした時、ドライバーがオノ・ヨーコの事を娼婦と呼び乗車を拒否しました。

眼鏡
ジョン・レノンはメガネをするのが恥ずかしく、半盲で生活していましたが“バディ・ホリー(Buddy Holly)”を見て叔母のミミに、黒い角縁のメガネを買ってくれとせがみました。

Help!(ヘルプ)は本当の気持ちだよ、と語っていたそうです。

商品としての平和
ジョンは「平和を売るつもりなんだ。商品として、石鹸や飲み物を売るように。それが人に平和は実現可能だと、暴力にやむを得ず必要なものはないと気付かせる唯一の方法なんだ。戦争だけでなく、どんな形の暴力も。」と語っていたそうです。


ポール・マッカートニー

ジミ・ヘンドリックスの大ファン
“ア・デイ・イン・ザ・ライフ”のオーケストラ導入部分はジミ・ヘンドリックスの大ファンだったポールが、”ヘイ・ジョーを聴き思いついたそうです。

ベジタリアンとしての起源
ポールがリンダと野原で羊肉の料理を食べている時に、子羊が歩いているのを見て動物愛護に目覚めました。リンダが亡くなった後、最初のインタビューで「生涯、ベジタリアンを通し、動物愛護活動をする」と語りました。

Hey Jude
“ヘイ・ジュード”最後の「na-,na-,na-」と歌いフェードアウトする部分は4分間、19回繰り返されているそうです。

I Want To Hold Your Handが作曲された場所
“I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)”はポールの当時の彼女”Jane Asher”の家で作曲されました。

ポールのお母さん
1956年に亡くなった母”メアリー(Mary)”はリヴァプールの看護婦で、地元では天使と呼ばれていました。

Sir.ポール、昔の経歴
ラブ・ミー・ドゥがヒットする少し前まで、リヴァプールの木材置き場で働いてたそうで。
働き出してから、すぐに管理職に就きました。

Yesterday
”イエスタデイ”は史上、一番多くカヴァー録音された曲で2200以上のアーティストがカヴァーしたそうです。
エルヴィス・プレスリーフランク・シナトラも録音したそうです。


ジョージ・ハリスン

好きなもの
紫色、F1レース、エッグ・サンドイッチ、「空飛ぶモンティ・パイソン」が好きだったそうです。
映画はメル・ブルックスの「プロデューサーズ」が好きでした。
また一番好きなものは園芸でした。
「一万本の木を植えたんだ。自叙伝の”I Me Mine”は全ての園芸家に捧げる。」と語ったそうです。

ベジタリアン
1965年以降、生涯ベジタリアンでした。パティ・ボイドによると、肉や魚を家に持って帰ることも許さなかったそうです。

子供の頃
ジョンと同じ小学校に3年間、通いましたが、学校で二人は知り合いませんでした。
ポールが12歳、ジョージが11歳の時、スクールバスの中で二人は知り合い、お互い音楽が好きと知りました。ポールの紹介でバンド「クオリーメン」で活動していたジョンと知り合います。14歳でした。

改名
クオリーメンに参加した1958年2月 (ジョージ14歳) のすぐ後にジョージは尊敬していたロカビリー・ミュージシャン”カール・パーキンス”にちなんで”カール・ハリスン”に名前を変えました。

誕生日
ジョージは生涯のほとんどの間、自分の誕生日を間違って覚えていました。
実際の生誕記録では1943年2月24日の午後11時50分なのですが、理由は分かりませんが、亡くなる直前まで25日と思っていたそうです。

マルチな才能
多くの楽器の演奏が出来ました。ギターとシタールが有名ですが、他にもコンガ、マリンバ、サイフォン、バイオリン、ハーモニカ等、沢山の楽器演奏に長けていました。


リンゴ・スター

イメージ・チェンジ
リンゴは1962年までヒゲを生やしていましたが、ビートルズに入ることが決まり、スタイルを合わせ剃ったそうです。

キャバーンでの思い出
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンが当時、純粋なジャズ・クラブだったキャバーンでジャズマンとしてライブ・ブッキングをした後にロック・ソング”Whole Lotta Shakin’ Goin’ On”を演奏して、クラブのオーナーはバンドに10シリングの罰金を課しました。

バンドの違いと、ギャラの違い
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンでもう一夏、一週間=20ポンドのギャラでドラムを叩く予定でした。しかしジョンとポールに週25ポンド出すと言われ予定を変更したそうです。

左利きはポールとリンゴです。

アイディア
ビートルズの曲で特殊な音を出すため、ドラムのタムに布巾やブランケットを敷いたのはリンゴのアイディアだそうです。


“イエロー・サブマリン”や”With a Little Help from My Friends”はリンゴの声を活かすためジョンとポールにより作曲されました。

身長は他のメンバー(3人とも180センチ弱です)より10センチほどが低いそうです。

オノ・ヨーコさんはジョンが亡くなった際、リンゴだけに来て欲しかったのですが、リンゴは奥さんのバーバラ・バックと訪れました。

1996年、日本のテレビCMに出演した際の、ギャラは50万ポンドでした。